二十代の頃の私は、常に脇の汗ジミを気にして生きていました。朝、家を出る前に鏡を見て、グレーのTシャツを着たいけれど、どうせ数分後には大きな輪染みができるだろうと諦め、結局は汗が目立たない黒か白の服ばかりを選んでいました。私にとって脇汗が多いかどうかの基準は、他人の目線という非常に主観的で、かつ過酷なものでした。吊り革を掴むことができない、会議でホワイトボードに文字を書くのが怖い、友人とのランチで上着を脱ぐことができない。こうした制限が積み重なり、私の行動範囲はどんどん狭まっていきました。市販の制汗剤を何種類も試し、脇汗パッドを二枚重ねにするような日々を数年続けましたが、ある夏の日に決定的な出来事が起きました。大切なプレゼンの最中、緊張も相まってか、ジャケットを通り越して脇の部分にまで大きな染みが広がっているのを自覚してしまったのです。その瞬間、頭が真っ白になり、準備していた言葉が全て消えてしまいました。帰宅後、私は必死に「脇汗、多い、基準」と検索し、そこで初めて多汗症という病名と出会いました。そこには、汗のせいで生活に支障があるならそれは立派な治療対象であると書かれていました。私がこれまで「自分がだらしないから」「人より緊張しやすい性格だから」と自分を責めてきたことは、実は交感神経の誤作動によるものだったのだと知ったとき、驚きと同時に深い安堵感を覚えました。病院へ行くべきか迷っていた私の背中を押したのは、あるサイトに書かれていた「あなたが汗のことを考える時間が、一日のうちで一時間を超えているなら、それは治療を受けるべき基準です」という言葉でした。確かに私は、朝起きてから寝るまで、常に脇の状態を確認し、シミができていないか、匂っていないかを気にし続けていました。それはもはや、生活の一部ではなく、生活を支配している呪縛でした。意を決して皮膚科を受診し、医師に現状を話すと、先生は優しく「それは大変でしたね。HDSSで言えば重症のレベル四に当たります」と診断してくれました。数値化された基準を提示されたことで、私は自分の苦しみが正当なものであると認められた気がしました。治療を始めてから、私の世界は劇的に変わりました。好きな色の服を着て、堂々と腕を振って歩けることが、これほどまでに自由で幸せなことだとは思いもしませんでした。もし今、かつての私のように自分の汗が「基準内」なのかどうかで悩んでいる人がいるなら、伝えたいことがあります。あなたの心が「辛い」と感じているその瞬間こそが、受診すべき最高の基準なのです。